コーチ茂原陽の「物語」vol.1 ”可愛い左耳”

これからの数回に分けて、
コーチ茂原陽のこれまでの「物語」や、
今どんな想いやビジョンで、
どんな価値をお届けしているかについて
お伝えしていこうと思います。

目次

可愛い左耳

1971年12月9日に、
少し悲しいことに左耳が形成不全で生まれました。

外耳が完全に形成されずに世に送り出され、
耳の穴が骨で覆われたままなので、
内耳は機能していますが、左耳はほぼ聞こえません。

今もそれは変わりません。

それに加えて、色も少し弱かったのです。
自分では色鮮やかな世界を見ているつもりですが、
色覚検査だけはどうあがいても、
途中から答えられないというやつでした、、、
最近はこの色覚検査をやっているかは知らないですが。

このダブルパンチのため、
幼少期に様々なことを諦めました。

電車の運転手になりたい、
パイロットになりたい、
お医者さんになりたい、、、

よく、

「あなたは普通ではないので、
それはなれません、できないですよ。」

と繰り返し言われた気がしています。

そして、両親は、
私の餃子みたいな耳たぶしかなかった左耳を、
大切な子供のことを想い、
おかっぱの髪型で隠してくれました。

ただ、自分は普通ではない、
そして隠される存在なんだなとなんとなく思い悩み、
よく次の日朝起きたら、別な誰かに生まれ変わっていないかと
ずっと願い続けて夜寝ていました。

そして、子供の頃の陽くんは、
これらの逆境を乗り越えていく勇気が少し足りず、
髪を坊主にすることもどうしてもできませんでした。

すでに、当時の最高峰のドクターにより、
可愛い左耳も手に入れていたのにです。

小学校でリトルリーグに入り、
大好きな野球をやり、プロ野球選手になる。

それを坊主問題で諦めたら、
次は中学からサッカーでプロを目指しましたが、
同じく坊主問題で諦めました。

繰り返し、繰り返し、
自分は普通じゃないんだ、なんで自分だけが、、、
と思い悩んだのも事実です。

だけど、この左耳のおかげってやつです。人生って。

ほぼ「右耳」だけなので、
まず集中して強く意識を向けていないと
人の話が聴けなかったので、
幼い頃からずっと「人の話」を
ものすごい集中力とエネルギーで聴き続けていました。

さらに、左側からだと声がよく聞こえないので、
その相手との会話を何が何でも続けるために、
この左耳のことを気づかれないようにするために、

相手が今何を言っているのか、何を考えているのかを、
「表情」や「雰囲気」から察知し、
会話をつなげていくために、
相手のことにずっと目を向け続けていました。

そして、頷きや表情や、短い言葉を使って会話を紡ぎ、
その瞬間という人生をサバイブしてきました。

この瞬間、瞬間をずっと積み上げてきたことが、
私が眼の前の人に、強い興味と関心を持ち、
眼の前で起こる相手の表情の変化や、
言葉や声の変化や、雰囲気の変化、気持ちの変化を
ずっと追い続けることになり、

集中して「人の話」を聴き続け、
様々なことを観察から察知し続けるという
「武器」を手に入れたと思っています。

これがコーチとしての原点でもあり、

「人はみな唯一無二で素晴らしく、
無限の可能性を持っている存在なんだ」

という想いが芽生えた種であったとも思っています。

過去と、今目の前で起こっていることは、
すべてギフト・贈り物だと、強く信じるのは、
こんな子供の頃からの体験があったからだと思います。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

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